『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 補遺データ(その2)  石野 哲 作成
 
 ■補遺データ(その1)については 「停車場変遷大事典 国鉄・JR編」補遺データ 梁山泊会所告示 第001~016号 をご覧ください。
 
内容 社名線名駅名 項目 行目 訂No 訂正公開日
239 線区ごと距離の推移 244-3 <貨>後藤寺線 記事 上5 赤坂~赤坂炭坑を赤池駅・・・ 赤坂~赤坂炭坑を赤坂駅・・・ 17 2026.04.01
197 駅名の移りかわり 44-1 五日市線
駅番 1915
病院前(停留場)
実施日
(駅開業日)
上1 S05(1930)0404認可 T15(1926)1001
※大事典の「S05.04.04認可/開業認可の申請には実マイル拝島起点4M26C50Lとあり。『停S60』のT15.10.01開業は誤り」を、「T15.10.01開業/西秋留0.8M+0.8M武蔵増戸/『停S60』のT15.10.01開業で正当」に訂正。
「S05.04.04認可」としたのは、鉄道省文書の別の停車場の記載でした。「病院前」関連の鉄道省文書(五日市鉄道から鉄道省監督局への申請)は、①病院前設置認可申請(新設時の駅間営業哩程 西秋留0.8哩、武蔵増戸0.8哩)大正15.04.17付、②申請時の駅名「病院裏」(ビヨウヰンウラ)を「病院前」(ビヨウヰンマヘ)へ変更する申請同年05.01付、③開業日が記載された鉄道省文書自体は無し の3点でした。
『公認汽車汽船旅行案内(通称「三本松の時刻表」)』大正16年1月号(大正15.12.24の翌日改元され、昭和01.12.25となったが、この前に印刷・発行された時刻表=1927年1月号。新人物往来社1998年刊復刻版)p152の五日市鉄道(大正十五年十月一日改正)の欄に、「病院前」が掲載されています(哩程が「…」なので、正式な駅ではなかったことがわかります)。
正式な駅でないので、『鉄道停車場一覧 昭和2年5月15日現在』(鉄道省編纂)に掲載されていなくて正当です。
現状、武蔵引田駅北側至近に、公立阿伎留(あきる)医療センター(東京都あきる野市引田78番地1。あきる野市・日の出町・檜原村で構成する阿伎留病院企業団が運営)があります。Wikipediaによれば、この医療センターの前身は、「西秋留(にしあきる)村外四ケ町村病院組合が、1925(大正14).04.10、西秋留村引田に21床の単独伝染病院を開院」です。開院1年半後に、駅ができたのでした。
なお、1955(昭和30).04.01西秋留村+東秋留村+多西村=秋多町(あきたまち)。1972(昭和47).05.05秋多町が市制施行し秋多市、即日秋川市(あきがわし)と改名。1995(平成07).09.01五日市町+秋川市=あきる野市(あきるのし)。
18 2026.04.06
199 45-1 八高線 新規追加
駅番1936の次に追加 2.9/8.0/S20(1945).02.15/+/南昭和(仮乗降場)/みなみしょうわ/(現昭島市上川原町2-25-1の龍田寺南側の道路が八高線と交わる「檜の木踏切7.981㎞」の南西側に簡易なホームを新設。現存していれば昭島市役所の最寄り駅)/小宮2.9+1.9<実距離>拝島/○客/旅客(定期券所持者に限る)<昭和飛行機通勤者のために開設>。S20(1945).08.24の八高線多摩川鉄橋正面衝突事故の上り列車最後尾に、南昭和(仮乗降場)から乗った通学定期所持の女学生(当時12歳)の証言があり、この日までは確実に存在した/『多摩の鉄道史Ⅴ』(2024.06.23)p24
※『駅名来歴事典 国鉄・JR・第三セクター編』補遺データとして、2025.08.20掲載済みのものですが、遅まきながらこちらにも掲載します。詳しくは 鉄道フォーラム発言No.2982【データライブラリ】 参照
18 2026.04.06







 = 以上です =