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梁山泊会所告示
 
1巻001ページ〜140ページ 1巻141ページ〜189ページ 1巻190ページ〜254ページ 1巻255ページ〜798ページ
2巻001ページ〜130ページ 2巻131ページ〜214ページ 2巻215ページ〜334ページ 2巻335ページ〜386ページ
2巻387ページ〜526ページ 2巻527ページ〜630ページ 2巻631ページ〜804ページ 2巻805ページ〜990ページ
 
梁号数巻ページ内容
0081190■1-190 線番104−1 東北本線
       M23(1890).04.16  増減+35.28 全キロ35.28 追加
         ※岩切〜鹿島台〜一ノ関16.30+35.28=51.58
       M23(1890).11.01  増減 +56.05 全キロ 91.33
       M24(1891).09.01  増減+126.72 全キロ218.25
       M26(1893).07.16 改キロ の行を追加
                  増減 -0.02 全キロ218.23
         ※浅虫〜野内〜浦町〜青森9.46→9.44
       M26(1893).09.20  増減 -0.01 全キロ218.22
       M26(1893).09.25  増減 +0.04 全キロ218.26
0151190■1-190 線番104−2 東北本線  先頭に1行追加
       T15(1926).10.10 記事参照 --- ---
       記事欄 T15.10.09達857号:日暮里停車場〜貝塚操車場
       1.7M開設 <2-421駅番4086貝塚(操車場)参照>
0081191■1-191 線番104−8 東北本線
        M23(1890).04.16 増減+16.30 全キロ16.30 正当
0151194■1-194 線番116−1 △足尾線 1〜6行目を次のように改める
      M44(1911).04.15 新開業 足尾鉄道
                 桐生〜大間々町  +4.5  4.5
        桐生〜下新田聯絡所0.9は鉄道院より借入
      T01(1912).09.05 延伸 桐生〜神土 +11.9 16.4
      T01(1912).11.11 延伸 桐生〜沢入  +4.3 20.7
      T01(1912).12.31 延伸 桐生〜足尾  +5.8 26.5
      T02(1913).10.13 新開業借入 足尾(足尾鉄道)
                   桐生〜足尾  空欄 26.5
        下新田聯絡所〜足尾25.6を足尾鉄道より借入
      T02(1913).11.11 改キロ 足尾(足尾鉄道)
                   桐生〜足尾  +0.1 26.6
        桐生〜相老1.8→1.9(下新田〜相老0.9→1.0)
0081194■1-194 線番116−1 △足尾線  (間藤〜足尾本山)
       H10(1998).06.02 免許失効=廃止 <典拠:『数字
       でみる鉄道98』(運輸政策研究機構発行)>の行を追加
0151199■1-199 線番134−1 田沢湖線  上から7行目
       T10(1921).07.30 「延伸」は「新開業」が正当
0131205■1-205 線番157−1 △角館線
       S61(1986).11.01 +19.1 19.1km が正当
       H01(1989).04.01  +0.1 19.2km
         記事に 松葉〜羽後長戸呂2.8→2.9追加 が正当
0071207■1-207 線番168−2 信越本線
     上から4行目 M30(1897)1120 増減+20.75 全キロ20.75
       ※沼垂〜亀田〜一ノ木戸3.75+20.75=24.70
     M31(1898)0616 増減 +14.30 全キロ 35.25
     M31(1898)1227 増減 +17.44 全キロ 80.16
       ※春日新田〜北条〜長岡〜亀田〜沼垂27.27+17.44+
        35.25+3.75=80.16+3.75=84.11
     M32(1899)0905 増減 +0.41 全キロ 80.57
       ※直江津〜春日新田〜亀田〜沼垂0.41+80.16+3.75=
        80.57+3.75=84.52----p1-350の哩鎖と一致
0071208■1-208 線番168−6 信越本線  増減、全キロ を訂正
       M30(1897)1120 増減 +3.75 全キロ 3.75
       M35(1902)1112        全キロ 4.0
       M37(1904)0503 増減 +1.2  全キロ 5.2
       M37(1904)0506 増減 -0.1  全キロ 5.1
0151218■1-218 線番197−1 鹿児島本線
       2行目 M35(1902).11.12 全キロ 7.3 は 7.4 が正当
       14行目 M35(1902).11.12 全キロ129.0は128.9が正当
       15行目 M35(1902).12.27
         記事「7.3+8.8+129.0」は「7.4+8.8+128.9」が正当
       ※M37(1904).10.25の改キロ後、7.3+8.8+129.0=145.1
0081218■1-218 線番197−1 鹿児島本線
       上から6行目 M23(1890).10.02 記事
       博多〜久留米「22.44→22.20」は「22.44→22.40」正当
0131218■1-218 線番197−1 鹿児島本線  一番下に追加
       H11(1999).07.02 改キロ -1.0 398.5km 398.5km
        398.5km 枝光〜八幡3.2→2.2(直線で短絡高架化)
0151219■1-219 線番197−5 ×鹿児島本線
      「T05(1916).06.21 廃止 富野〜紫川 削除」 は
        T01(1912)年度中 廃止 足立〜紫川 削除 及び
        T05(1916).06.21 廃止 富野〜足立 削除 とする
      「T05(1916).06.21 廃止 北篠崎〜板櫃 削除」 は
        M44(1911).10.01 廃止 が正当
0091222■1-222 線番207−1 肥薩線
       M39(1906).07.16 記事参照 <官設> を追加
         増減--- 全キロ--- 記事「初代八代(のちの球磨
         川)〜坂本間非公式に開業、九州鉄道が借り受け、
         九州製紙株式会社のため貨物列車を運転」 とする
         <典拠:『日本鉄道史』中篇p416>
       M41(1908).06.01
         記事に「八代(現)〜坂本間正式に開業」を追加
0151222■1-222 線番207−1 肥薩線
       S05(1930).04.01  記事「八代〜吉松〜鹿児島」は
         「八代〜西国分〜鹿児島」が正当
0151223■1-223 線番212−1 長崎本線
       M35(1902).11.12  全キロ 24.7 は 24.4 正当
     線番212−2 長崎本線
       M35(1902).11.12  全キロ 14.6 は 14.5 正当
       M37(1904).10.25 改キロ 14.6 を1行追加
0101230■1-230 線番227−1 日田彦山線  M34(1901).09.03
       記事は「行橋〜川崎16.27+4.42=20.69」が正当
0081231■1-231 線番227−6 ×日田彦山線  増減、全キロ を訂正
       M39(1906).01.12 増減 +1.2 全キロ1.2 が正当
       M40(1907).07.01 増減 空欄 全キロ1.2 が正当
       M40(1907).11.01 の行は削除
0151231■1-231 線番227−7 ×<貨>日田彦山線
       M39(1906).01.12 は M37(1904).10.25 が正当
0081231■1-231 線番229−1 △田川線
       M28(1895).08.25 増減「-2M18C」は「-0M18C」、
       全キロ「14.22」は「16.22」、記事「行橋〜豊津3.20→
       1.02」は「行橋〜豊津3.20→3.02」が正当
       M29(1896).02.05 全キロ「14.22」は「16.22」正当
       M32(1899).02.28改キロ の行は削除
       M32(1899).05.03 全キロ「16.45」は「16.27」正当
       M34(1901).09.03 全キロ「16.45」は「16.27」正当
0111233■1-233 線番237−2 区間の書き方は 「<軌間0.762米>星倉〜
       大藤」 とすべきだった
0131234■1-234 線番238−2 の上に 追加
      線番238−13 ×★筑豊本線 <<本城(信)〜水巻>>
       S05(1930).05.15 本城・折尾間に単線を新設、
        使用開始。本城・折尾間は3線となる
         <典拠:『百年史 年表』p176>
        ※若松港へスルーで石炭輸送をするため
       S36(1961).10.01改正で、室木→若松の客扱列車廃止
        ※いつから客扱列車が走り始めたかは未解明
       S60(1985).05.02 廃止
        ※典拠には「筑豊短絡線」とある
         <典拠:S60.04.25九州総局達第57号>
     線番238−2 ★筑豊本線
       M26(1893)06-- → M26(1893)0630 正当
        <典拠:『日本鉄道史(中)』p394>
0151236■1-236 線番240−6 ×<貨>伊田線
       S05(1930).04.01  増減「+4.2km」は「+3.9km」、
         記事「4.2+0.3=」は「3.9+0.6=」が正当
       S12(1937).06.25  記事欄に追加
         中泉〜赤池〜赤池炭坑4.2+0.3=4.5km
0081237■1-237 線番242−1 ×宮田線
       M38(1905).03.01駅名改称 は M37(1904).04.01〜
       10.24の間に実施 が正当
       M37(1904).10.25改キロ  区間「<貨>勝野〜宮田」
       は「<貨>勝野〜桐野」、記事「勝野〜宮田3.4→3.2」は
       「勝野〜桐野3.4→3.2」 が正当
         ※この2つの行は、順番が入れ替わります
0081238■1-238 線番243−3 ×幸袋線 を以下のように訂正
      M27.12.28 新開業 筑豊鉄道 幸袋〜幸袋炭坑 +0.38 0.38
      M30.10.01 合併 九州鉄道 幸袋〜幸袋炭坑 0.38
      M34.03.31 廃止 幸袋〜幸袋炭坑 -0.38
0081240■1-240 線番247−1 函館本線
       M15(1882).11.13  増減+24.75 全キロ45.09 追加
         区間表示は 〜[住吉]〜(岩見沢)〜 が正当か?
         ※2-819 駅番8092岩見沢の記述のように、開業日
          がM17(1884).08.15正当だった場合
       M22(1889).07.06        全キロ45.09 追加
       M22(1889).12.11        全キロ45.09
       M24(1891).07.05  増減+22.06 全キロ67.15
       M26(1893).03.21  増減 +0.20 全キロ67.35
       M29(1896).09.02  増減 -0.12 全キロ67.23
       M32(1899).02.28        全キロ67.23
       M32(1899).06.29  増減 -0.01 全キロ67.22
       M33(1900).06.11        全キロ67.22
       M34(1901).11.06  増減 +0.02 全キロ67.24
0091240■1-240 線番247−1 函館本線
       M40(1907).07.01  増減「-0.1」は削除
0151241■1-241 線番247−8  ×函館本線  先頭に1行追加
       T07(1918).11.-- 記事参照 --- 三井鉱山上砂川
        炭鉱の石炭搬出用として、専用鉄道で開業したらしい
        <典拠:砂川市役所『砂川市史』p1514(1971年)>
0071241■1-241 <<補足>>線番247−9  ×<貨>函館本線
       M32.06 第七師団の移転に際して材料運搬のため、近
       文から練兵場に至る約4kmの鷹栖岐線を陸軍省が敷設。
       これが北海道鉄道部へ移管されたものがルーツである。
       <典拠:小熊米雄「旭川駅<あの駅・この駅>」
          『鉄道ピクトリアル』No85p44(S33.8月号)>
0081243■1-243 線番255−1 ×幌内線  M15(1882).11.13時点の
       区間表示は「〜(岩見沢)〜[幌内太]〜」 が正当か?
         ※2-819 駅番8092岩見沢の記述のように、開業日
          がM17(1884).08.15正当だった場合
0081244■1-244 線番255−2 ×幌内線 M15(1882).11.13 の記事
       手宮〜札幌〜幌内 は 22.25+34.27=56.52 が正当
0081245■1-245 線番260−1 室蘭本線
       M29(1896).05.20 改キロ の行は削除
       M30(1897).07.01  全キロ83.47 は 83.48 正当
       M31(1898).02.01  全キロ83.46 は 83.47
       M32(1899).02.28  全キロ83.47 は 83.48
       M34(1901).11.06  全キロ83.45 は 83.46
         ※室蘭〜輪西〜岩見沢2.45+83.46=86.11
0151248■1-248 線番267−1 根室本線
       下から7行目 T10(1921).08.05
         記事中「富良野〜根室」は「滝川〜根室」が正当
0151250■1-250 線番273−1 宗谷本線
       T10(1921).10.05 線名欄に「宗谷」 を追加
       T11(1922).11.04 線名欄に「宗谷本」を追加
0161252■1-252 線番281−1 石北本線
       S44(1969).11.01 改キロ <貨>網走〜浜網走
         ※実態は廃止新設。網走から呼人への線路のすぐ南
          側、網走より1.3km、行き止まり形態の線路に移
          転。見た目は網走駅構内の側線だった。
          S44.10.04に移転したとの説もある。
          網走〜旧浜網走の線路0.8kmは、この移転と同時
          に廃止された
 
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